2019年6月23日日曜日

ボーダーレス~僕の船の国境線~ その2

この廃船で起こる出来事は人と人の物語でもあり、同時に国と国、すなわち外交関係であることも容易に思い当るであろう。中東問題である。

廃船内で暮らす少年のもとに、ある日闖入者が現れる。廃船内で言葉が通じない者同士で警戒し、テリトリーを主張する。だがある問題を巡って2人は協力してこれを乗り越え、友好的な外交関係が芽生える。つまり、映画の登場人物はそれぞれがある国を象徴しているのだ。少年たちは、言語が通じない状況でなんとか意思疎通を図り、主張し、あるいは譲歩し、廃船内での平穏な営みを模索する。

そんな模索を危機にさらす存在が、第4の登場人物・米兵だ。この男の存在が、中東地域の紛争を見事に象徴しているように思える。

石油利権や宗教の聖地を巡って争いが絶えないこの地域。中東諸国のお互いの外交努力を無力化する諸外国の介入は、枚挙にいとまがない。中東の歴史は外圧と破壊の歴史といってもいいだろう。

人物を国家として考えてみると、米兵は当然アメリカであり、その他の3人が中東諸国と言えるだろう。とすると米兵の登場は中東への介入である。中東地域に不安材料をもたらす存在である。だがここでは米兵も実は戦争の被害者であるという描かれ方をしている。つまり、加害者と被害者という単純な構図に帰結させていないのだ。国家としての振る舞いや戦争の結果に係わらず、多くの兵士は悩み、傷つき、苦しんでいることを忘れてはならない。

そしてこの米兵がまた意外や意外、この廃船内の和平に大いに貢献することになる!現実世界では残念ながら起こりそうにないのが皮肉ではあるけれど。

この和平も長続きしない。ラストシーン。ここでは監督の悲痛というか嗚咽を感じざるを得ない。俺たちは、こうやっていつも蹂躙されてきたんだ。これまでずっと・・・また一人ぼっちに戻ってしまった少年の虚ろな眼差しが雄弁に物語るのだ。

出来すぎたサブタイトル、と前回書いた。私はこの物語で描かれているものについて、観客に考えてほしいと思う。サブタイトルの効果もあって、これは外交と紛争の歴史についての話だと容易に推察できる。しかしこれは観客自身が、この物語に伏流するメッセージを考える機会を奪ってしまった形になる。それだけが残念ではあるが、それでもこの物語は私たちの心の奥底に静かに存在し続けるだろう。

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