2019年9月28日土曜日

日本のいちばん長い日

この夏観た映画で印象的なものを紹介。


1945年8月15日は終戦の日。日本が連合国に敗れた日であると同時に戦後社会の出発点でもある。しかし、日本の敗戦が濃厚になった1945年当時、8月15日の玉音放送に至るまでに、日本の中枢部で何が起きていたのかを知る人は意外と少ないと思われる。

「日本の一番長い日(1967年・東宝)」という映画では、旧日本陸軍将校によるクーデター未遂事件(宮城事件)が描かれている。

1945年当初の時点で敗戦は目に見えていた。それでも日本政府はポツダム宣言を黙殺し、そうこうしている間に原爆で広島と長崎が壊滅。もういよいよ、遅きに失したのだけれど、ポツダム宣言を受諾せざるを得ない。そんな状況でも、戦争継続・一億総玉砕を主張する一派が存在した。その一人が、黒沢年男が演じる畑中少佐という男。彼らが何をしようとしたのか?

この映画のテーマは「眼圧」ではないだろうか。「目力(めぢから)」と書くとニュアンスが違うので、眼圧。最狂の眼圧で迫ってくる畑中少佐に注目!クーデターの首謀者だ。

現代に生きる我々が「狂気だ」と言って止まっていては何も進歩はないだろう。当時の陸軍内には畑中少佐のような思想を持った軍人が多数いたと聞く。そういう狂気がなぜ生まれてしまったのか?先の見えない現代に生きる我々が、いったん立ち戻るべき原点がこの映画に描かれている。

「日本の一番長い日」は2015年にリメイクされた。違いを比べてみるのも一興。

2019年9月26日木曜日

「ボラット」が日本に上陸する日

思想家・内田樹氏が、昨今メディアにあふれるの嫌韓言説に対してブログで語ったものを引用。

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彼らが「嫌韓」という看板を借りて口にしているのは、先ほど言った通り、「職を賭してまで言いたいというほどのことではないが、職を賭さないで済むなら、ちょっと言ってみたいこと」である。ふつうなら「非常識」で「下劣」で「見苦しい」とされるふるまいが、どうも今の言論環境では政府からもメディアからも司法からも公認されているらしい。だったら、この機会に自分にもそれを許してみよう。「処罰されない」なら・・・と期待して、精一杯下品で攻撃的になってみせたのである。だから、「処罰」がちらついた瞬間に、蜘蛛の子を散らすように消えたのは怪しむに足りない。「処罰されないなら公言してみたいが、処罰されるくらいなら言わないで我慢する」ということである。そうした方がいいと思う。
 
 だが、彼らが忘れていることがある。それは、人間の本性は「処罰されない」ことが保証されている環境でどうふるまうかによって可視化されるということである。
「今ここでは何をしても誰にも咎められることがない」とわかった時に、人がどれほど利己的になるか、どれほど残酷になれるか、どれほど卑劣になれるか、私は経験的に知っている。そして、そういう局面でどうふるまったかを私は忘れない。それがその人間の「正味」の人間性だと思うからである。

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全文は以下のリンクで
http://blog.tatsuru.com/2019/09/05_1411.html


これを読んで、映画「ボラット」を思い出した。


イギリス人コメディアンのサッシャ・バロン・コーエンが、カザフスタン国営テレビのレポーター「ボラット」に扮し、アメリカを取材するというコメディ映画である。

表向きは文化の違いを体験し、それをカザフスタンに伝えるという名目だ。しかし取材を受けたアメリカ人たちは、「どうせカザフスタンで放送されるテレビなんか誰も観ないだろう」という心理的解放から、トンデモナイ本音を開陳する。


ボラット「ユダヤ人を撃つ銃はアリマスカ?」
ガンショップ店員「この45口径かセミオートマがいいんじゃないかな」

ボラット「ワタシの国ではホモは死刑です」
カウボーイ協会会長「アメリカもそうありたいね」

ボラット「アメリカに奴隷はイマスカ?」
学生「奴隷がいたらこの国はもっと良くなるよ」



ボラットの真の目的は、あらゆる差別意識を炙り出すこと。そしてそれを笑い飛ばすこと。下ネタも満載、恐ろしく下品で、笑えて、背筋が寒くなるのがこの「ボラット」だ。

ボラットことサッシャ・バロン・コーエンは、ケンブリッジ大卒のインテリ。しかも敬虔なユダヤ教徒でありながら、バカのふりをしてユダヤ人に対して差別的な発言を繰り替す。実に悪質かつ巧妙なトリックの前に、人間の本性を引きずり出されてしまうのだ。


内田氏の指摘は、ボラットが見事に実証していたと言えるだろう。

日本にボラットが上陸したら、誰がどんな本音をさらけ出すだろうか?


なお、「ボラット」の続編ともいえる「ブルーノ」も、輪をかけて下品でバカバカしい。どちらもマジメな方は絶対に観ないことをお勧めする。