2019年9月26日木曜日

「ボラット」が日本に上陸する日

思想家・内田樹氏が、昨今メディアにあふれるの嫌韓言説に対してブログで語ったものを引用。

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彼らが「嫌韓」という看板を借りて口にしているのは、先ほど言った通り、「職を賭してまで言いたいというほどのことではないが、職を賭さないで済むなら、ちょっと言ってみたいこと」である。ふつうなら「非常識」で「下劣」で「見苦しい」とされるふるまいが、どうも今の言論環境では政府からもメディアからも司法からも公認されているらしい。だったら、この機会に自分にもそれを許してみよう。「処罰されない」なら・・・と期待して、精一杯下品で攻撃的になってみせたのである。だから、「処罰」がちらついた瞬間に、蜘蛛の子を散らすように消えたのは怪しむに足りない。「処罰されないなら公言してみたいが、処罰されるくらいなら言わないで我慢する」ということである。そうした方がいいと思う。
 
 だが、彼らが忘れていることがある。それは、人間の本性は「処罰されない」ことが保証されている環境でどうふるまうかによって可視化されるということである。
「今ここでは何をしても誰にも咎められることがない」とわかった時に、人がどれほど利己的になるか、どれほど残酷になれるか、どれほど卑劣になれるか、私は経験的に知っている。そして、そういう局面でどうふるまったかを私は忘れない。それがその人間の「正味」の人間性だと思うからである。

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全文は以下のリンクで
http://blog.tatsuru.com/2019/09/05_1411.html


これを読んで、映画「ボラット」を思い出した。


イギリス人コメディアンのサッシャ・バロン・コーエンが、カザフスタン国営テレビのレポーター「ボラット」に扮し、アメリカを取材するというコメディ映画である。

表向きは文化の違いを体験し、それをカザフスタンに伝えるという名目だ。しかし取材を受けたアメリカ人たちは、「どうせカザフスタンで放送されるテレビなんか誰も観ないだろう」という心理的解放から、トンデモナイ本音を開陳する。


ボラット「ユダヤ人を撃つ銃はアリマスカ?」
ガンショップ店員「この45口径かセミオートマがいいんじゃないかな」

ボラット「ワタシの国ではホモは死刑です」
カウボーイ協会会長「アメリカもそうありたいね」

ボラット「アメリカに奴隷はイマスカ?」
学生「奴隷がいたらこの国はもっと良くなるよ」



ボラットの真の目的は、あらゆる差別意識を炙り出すこと。そしてそれを笑い飛ばすこと。下ネタも満載、恐ろしく下品で、笑えて、背筋が寒くなるのがこの「ボラット」だ。

ボラットことサッシャ・バロン・コーエンは、ケンブリッジ大卒のインテリ。しかも敬虔なユダヤ教徒でありながら、バカのふりをしてユダヤ人に対して差別的な発言を繰り替す。実に悪質かつ巧妙なトリックの前に、人間の本性を引きずり出されてしまうのだ。


内田氏の指摘は、ボラットが見事に実証していたと言えるだろう。

日本にボラットが上陸したら、誰がどんな本音をさらけ出すだろうか?


なお、「ボラット」の続編ともいえる「ブルーノ」も、輪をかけて下品でバカバカしい。どちらもマジメな方は絶対に観ないことをお勧めする。








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